「ソフトウェア開発ファシリテーション」アドベントカレンダー21日目の記事です。
結論としてはこの本をぜひ読んで欲しいということに尽きるのですが(笑)
オンライン主体になってmiroといったツールを使いながら思うのはホワイトボードの懐かしさです。
miroを扱うことによってかなり高速に話している内容の構造化ができるようになり、議論そのものはスムーズに前を向くような感覚にはなるのですが、創造的かと言えばどうなんだろう、という感じです。
話しながら何となくホワイトボードに向かって、ざっくり絵を描きながら対話を促していく。すると誰となく立ち上がって一緒にホワイトボードに描き始める。段々そこから流れが生まれて、意味づけが始まる。全体をふりかえると「ああ、そういうことだったんだ!」と何かに気付かされる。
そんな体験はなかなか作れないなぁ、と思う中で、そもそもそういう体験ってどういう構造をしていたんだろう?と立ち戻るときに参考になるのが冒頭の書籍です。

書籍でテーマになっている「スクライビング」とは、人々が話をしている間に、リアルタイムに絵や言葉を使ってその話を見える化する手法です。「グラフィック・レコーディング」や「グラフィック・ファシリテーション」もスクライビングの一形式です。
書籍では更に一歩進んで「生成的スクライビング」をテーマにしています。場にいる人々をつなぎ、新たな洞察やビジョンを生み出す後押しをするためのスクライビングです。場にいる人たちの意識にまだ上ってきていない、言葉になっていない、目にも見えない何らかのトーンや質感を捕まえて表現をする。まだ見えていないものを描き出すということが生成的スクライビングのテーマです。
著者のスクライビング事例はまさにアートですが、言語化できないのであれば言語以外のもので紡ぎ出しても良いんだ、という感覚があってこその生成的スクライビングじゃないかなって(勝手に)思います。「正しい表現をしなくちゃ」というより、あの手この手で表現をし尽くしたあとに全体として出てくるものを味わうWhole System Approachです。
困難な課題であればあるほど、お互いの感覚を言語・非言語問わず共有しながら「見られたがっている未来」を描き出せる方法があるのだとすれば、これ以上パワフルなことはないな、と感じるのです。