深くやればやるほど、「そこでしか通用しないやり方/考え方」みたいなのが増えていく気がする。「それだとつぶしがきかない人間になってしまう」といやがって、外の世界に目を向けてみるけど、深くやらない限りクオリティが上がることはないし、だからこそ評価もされない。
やるなら深くなければいけない

よくあるT字型人材の話(例えばこういう話もの)は上のような絵だけれども、僕の脳内では下のように3Dになっている。

z軸はその人が提供できる価値をあらわしていると思っている。「幅広い見識を持っていることが強み」という人はいるけれども、そういう人はその価値の提供の仕方において、どこかの(x, y)においてzの値が高い。
生きるには広く知らなければならない

一方で、広く知らなければいけないのも、また真実。広く知らないと自分のいる位置すら分からない。
でも広く知るだけだとz軸が高まらないので、やるなら深くなければいけないし、生きるには広く知らなければならない。
意外と広く知ることのほうが楽で、深くやる方が難しいのが体感としてある。だからこそ深くやっている人は、もし今やっていることに価値がないと思っているなら、広く知ることで、自分のやっていることの価値を分かって欲しいなーと思うことがある。
すごい人は、信じられないほど身近にたくさんいるのだ。