本人は成長している実感がなくて悩んでいるのに、周りからは「いやいや、成長しているよ」と言われる、そんな状況を見ることがあります。なんでなんでしょうね? 成長しているなら実感があってもおかしくないですよね。
成長のロードマップを持てているか?
おそらく周りは、その人の成長のロードマップを持っているのだと思います。
「あの人はこんなことがやりたいんだろうから、まずはこういうことができると良いと思う」
こういうことができる → あんなことができる、が繋がっているので、「こういうことができてきているから、次のステップに進めるな」と思えるんですね。
でも、当人はそのロードマップがよく分からない。よく分からないというか、実感が持てない。繋がらないことをやり続けても辛いだけだと思います。
まずはこれをやれ、と言われることに意味はあるのか?
成長の実感は、自分の描いているロードマップをちゃんと進めているか、それが確認できたときにはじめて生まれるものだと思います。
「まずはこれ」が間違っている、そういうことではないです。
「まずはこれ」をちゃんと自分のロードマップに当てはめられるか? 納得ができるか? すり合わせができているか? そういうことが大事だと思うのです。
万能な「基礎」なんてものはない
ロードマップがぼんやりしている状態で、なんとなく不安なとき、「これも基礎になるだろうから、やっておこう」と思うことがあるかも知れません。
プログラミングの基礎本として有名な計算機プログラムの構造と解釈(通称:SICP)なんかも、何となく不安なときに読まれそうな本ですが、絶対の基礎になるか?と言われると、「そうでもないかなあ」と思うわけです。
でも、Webアプリケーションのプログラミングをやろうと思ったときは、まずはHTTPの仕組みと、Webアプリケーションがなんで動くのか?ということを学びますよね。
結局「いつか役に立つ」基礎はないんだと思います。
故スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学卒業式でのゲストスピーチで「未来に先回りして点と点をつなげることはできない」つまり最初っから線を引くことはできないといった趣旨の話をしていますが、それは「今やりたいことを必死でやれば、いつかそれが繋がる日が来る」と言っているだけで、「漠然といつか役に立つだろうということをやっても良い」と言っている訳ではないと思います。
個人的な体験として、たまたま何も考えずに必死にやって、それが後々役に立っていることは数え切れないほどありますが、それはそのときやりたかったことを必死にやったからですね。「何だかオラワクワクしてきたぞ!」ということにドーンと時間を費やすのは、良いことではないでしょうか。それが基礎になっているのは、結果論に過ぎないのかも知れません。
成長している!という実感こそが大事
結局何が言いたいのかというと、「成長している!」という「実感」そのものが大事なのではないか?ということです。
実感がないというのはストレスですね。いや、もう、本当にひどいストレスになります。何やってんだろ俺、って感じです。ストレスがあることで、そもそものロードマップなんて、簡単に吹き飛んでしまいます。
実感を得られるにはどうすれば良いか?
今やらなきゃいけないことに、ストレートに効くことだけやれば良いと思います。
ギターが上手くなりたいなら、ギターを弾けば良いじゃないですか。何だか弦の鳴りが良くないなと思ったら、録音して鳴りが良くなるまでフォームを変え続ければ良いじゃないですか。スケールだけ勉強してもギター自体は上手くならないですよね。
・・・とギターを弾かない人には全く意味のない例えをしてしまった・・・あんまり上手く例えられるネタがない・・・。
「これができたら嬉しい、カッコいい、モテそう」と思えることでも、良いんじゃないでしょうか。「これができたら1本講演できる!」「ブログ書けるな!」ということでも良い気がします。
あとは、こういうことをグダグダ相談できる仲間がいることが、大事なのかも。それはまた今度書くことにします。