思い返してみると「授業」で何かが理解できた記憶が全くない

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尾木ママが批判する武雄市の「反転授業」 子どもの「教育を受ける権利」は大丈夫?という記事で「反転授業」というキーワードをはじめて知ったのですが、その説明に

「反転授業」を受ける児童は、まず授業の前に自宅でiPadなどを使ってビデオを見ることで「新しい知識」を獲得する。教室での授業はその知識を応用・発展させたり、不足点を補う場所になる。こうすることで、単なる知識の詰め込みで終わっていた従来型の授業よりも、より効果の高い教育が実現できるという触れ込みだ。

とあって、なるほど小学校でやるにはなかなかハードルの高い授業だなと思ったわけですが、

基礎を学ぶ義務教育課程の小学校では本質学ぶことが大切(小学校の「反転授業」は間違いです!

とまで言うほど小学校の授業で何か理解できたかというと、そんな記憶は全くないなと思ったのです。

教わるとは何か?

思えば小学校、中学校、高校(途中で辞めたけど)、大学と、授業だけで何か理解できた記憶は全くないなーと一貫して思うわけです。

授業というのは教える側と教わる側がいて、大体教える側がずっと何か話しているわけで、それを聞いて何かを得ろ、という仕組みですよね。教科書を読ませたり、問題を黒板の前で解かせたりと、極力参加型にしようという取り組みはありつつも、大半は教科書に書いてあることの説明な訳です。

これを今僕が生業にしているRubyの学習に例えると、

  • 「クラスとモジュールの違いとは〜・・・」
  • 「Enumerableでサポートされているメソッドには以下の種類があり〜・・・」
  • 「Threadの実装は処理系によって異なり〜・・・」

みたいな話を延々と聞くということなので、これ、普通に考えて、どんなに分かりやすい授業だとしても、大人ですらハードル高い仕組みだな、と思うわけです。いくらメタプログラミングRubyで書いてあるような本質的な話だとしても3秒で忘れる自信がある。

話は戻って小学校で学ぶべき基礎を思い返してみると、実感として9割以上、アウトプットメインで学習すべき内容だなと感じます。

僕は9×9(くく)がいつまで経ってもできなくて、9×9ができるまで冬休みの間担任の先生に毎日電話して9×9を暗唱させられ続けるという苦行を味わったのですが、9×9ができないと一般的な日本人としてまともなスピードで算数を行うことができないわけで、必要なアウトプット訓練だったなと実感しています。熱心な先生のおかげで、まともに算数ができています。

小学校レベルで学ぶ酸性・塩基性の違いで色が変わる試験液として、自宅でも簡単に作れるもので赤キャベツ液というものがありますが、これも実際に赤キャベツを煮込んで作りました。自宅には時間の経った赤キャベツ液の腐臭が充満して大変なことになりましたが、確かに漂白液を入れると変色するし、「この世には液体の性質によって変色する液体がある」ということを身をもって知ることができました。

近所の大きな公園で「こども商店街」というイベントがありまして、廃材置き場から廃材を拾って加工して、お店のような建造物を組み上げて、イベント開催日にそのお店を使って商売をするという大イベントがありました。そもそも「家をつくる」ということがどういうことか分からずに作って、床の基礎なしに店をつくって雨が降って商品まで浸水することによって「床って必要なんだ」ということを知ったり、次の日来たら店が倒壊していて「骨組みを支える柱はかなり深くまで打ち込まないとヤバイ」ということを知ったり、どれだけ体当たりで学んでいるのか分からないですが、良い体験でした。商売で言えば、商品の値付けは決まっているものではなく、売り出す場所の周辺の相場と、お客さんに見せる価値によって変動するということを身をもって知りました。不当に高い品物は売れないし、安くても価値のないものも売れないですからね。

こういった経験からロジック共々身を持って知ることが、物事の基礎の本質的な理解だと思うわけで、特に小学校ぐらいの年齢だと体当たりじゃないと学べないことの方が多いなーと感じます。

抽象度の高い理解は中学校からですね。中学校からの抽象度の高い話が理解できるようにレベルを引き上げるという意味では、小学校の学習課程って、大きな責任を負っているなーと思います。

以上をふまえて、反転授業というのも、より多くの体験型の授業を提供しようという目的であれば、大変良いことだな、と思うわけです。(別にタブレットを使う必要はない。教科書はタブレットにして欲しいけど・・・。)

体験型の授業を提供するためには小学校の教員数も、もっと必要だと思うし(というか何で学級担任制なのかが未だに分からない。科目担任制にできないのか?)、小学校のあり方はもっと変化する必要があるよなと、子供を授かってまともに教育について考えるようになって、実感をもって考えるようになりました。この改革は、教員ではなくて、子供を持つ親の役目ですよね。そう思うと、自分でも何かできることがあるんだろうなと、もやもやと感じたのでした。