「脳の右側で描け」に教わる「受け入れるということ」

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私たちには、見たいと思っているものや見たと決めつけたものを見る傾向があります。しかも、その願望や決めつけは、多くの場合、意識的な過程ではありません。そうではなくて、脳は、しばしば意識に上らせることなく願望や決めつけを行い、それから網膜に映った視界の生のデータを変形ないし再修正し、ときにはまったく無視してしまうことさえあるのです。(B.エドワース著 「脳の右側で描け」

受け入れるということ

冒頭の一文は「脳の右側で描け」という本の序盤からの引用です。

この本は「上手くデッサンできるようになりたいなー」という人に対して、「見たままを描く技法」を繰り返し説く本です。昔やたら絵を描くことにこだわっていた時代があり、そんな時期に手にとって買った本です。

上手くデッサンするためには、その名の通り見たままをそのまま描けば良いはずなのですが、大抵見たままの姿を描けません。それは冒頭の引用の通り、網膜に映った生のデータを、脳が自身の願望に基いて再構成してしまい、それがそのまま自身の描いている絵にあらわれるからです。目で見ているものを描いているのではなく、意識が見ているものを描いているのです。

「逆さにして描く」

右脳だの左脳だのと言われると眉唾ですが、要は人間の意識の話です。

簡単な実験で、「逆さにした絵を模写してみる」というものがあります。

普段見ている絵でも、逆さにするとその絵に対する意識が変わります。人を描いたと思われる絵が、人を描いたようには思えなくなるのです。

そんな絵を模写してみようと試みたとき、絵を描くことに対する意識も同時に変わります。

例えば、下から描いていこうと思ったとしましょう。あれ、下から? 人物を描くのだから、ざっくりした全体像を描くのでは? いえ、人を描いていると思っていないから、既に違う発想になっているのです。そんなこんなで描き進めようとすると、「まず紙を上から10等分して、下のこの2目盛りの半分ぐらいまでが<頭のようなもの>だから、これを描いてみよう」といった発想になっています。人を描いているという意識ではなく、「何か描かれているものを正確に描き写す」という意識になっているのです。

そうやってできあがった絵をひっくり返してみると、自分はこんなに絵が上手かったの?と思えるぐらい上出来な絵ができあがるという算段です。鉛筆の使い方の巧拙はあるものの、こんな実験に参加する人は大抵それまで絵が描けないと思っている人ですから、びっくりするのです。

これが、見たものをそのまま受け入れる、ということの力です。

自分の意識を悪い方向に作用させない

ある出来事が起こったときに、自分の経験から「これはおかしい」だとか、とにかく短絡的に判断してしまって、起こった出来事にちゃんと向き合わないといった失敗は、誰しもあるのかなと思います。

些細なことではありますが、システムのエラーログの捉え方だって同じことです。

「あれ、これはおかしいな」「さっき変えたコードがダメだったのかな」と思う前に、エラーログをよく読む。起こっていることをまずは受け入れて、向き合ってみて、それから判断をする。

これはありのまま絵を描くのと同じように、訓練が必要なことだと思います。

ときにはいつもやっている仕事から離れて、自分の意識を確かめるために絵を描いてみるのも良いかも知れません。静物画にしろ風景画にしろ、意識を介在させずに絵を描こうとすると、いつも見ているものを見るのとは違う発見があります。無意識の記号化の世界から離れるようなカタルシスがあります。

本を整理する中で改めて「脳の右側で描け」を見つけ、こんなことを思っていたということを、思い出したのでした。

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